2015/08/02

カタルーニャでのコンサート②

先週のTrençaのコンサートの写真を何枚か。

1日目: L'Arboç
メンバーの家がある街で暖かいというか、スペインなので熱い雰囲気の中で演奏できました(笑
携帯のカメラの調子が悪くて映りが悪いのがなんとも・・・
壁画の前で演奏しました。

2日目: Roureda de la Margineda (Andorra)
野外コンサートでした。
川沿いで湿気がすごかった。でも気温が低いので心地良かった。
演奏会を終えて次の日の朝、ホテルのフロントに置いてあった新聞の1面にコンサートの事が書かれているのを見つけた(笑

3日目: Llesui
Llesui という小さな村の小さな教会でのコンサート。
風光明媚なところでした。村のレストランの食事がとってもおいしかった。

4日目: Estany Gento (Vall de Fosca)
ロープウェーに乗ってコンサート会場へ。標高2,141m。今までのコンサートの中で一番標高が高い(笑


コンサート後にロープウェーの時間まで少し周りを散歩したら廃線になった線路を見つけた。でも人を乗せる列車を走らせるには大分細い。物資運搬用に使われていたのかしら。


Arboç以外はピレネーだったのだけど、空気がきれいだし気温も低いし、仕事で行ったわけだけど避暑にもなりました。バルセロナに帰ってくると全然気温が違う!と思ったらこの何日か曇っていて、7月前半のような暑さにはならず割とすごしやすい:)

でも、うだるような暑さの方がビールはおいしく感じるんだよなぁ(笑


2015/07/19

カタルーニャでのコンサート

郊外でのコンサートから写真を何枚か。

at Festival Castell Peralada (ペララーダ音楽フェスティバル)

Peraladaという街の城の中にある教会でのコンサート。床のモザイクもきれいでした。
Ramon Muntaner (https://es.wikipedia.org/wiki/Ram%C3%B3n_Muntaner) の生誕750年ということで、彼の生涯を音楽で追うというコンセプトのプログラムでした。

-----

at Monestir de Pedralbes (ペドラルベス修道院の回廊コンサート)

ペドラルベス修道院 (http://monestirpedralbes.bcn.cat/) の回廊にステージを作ってのコンサートでした。このところの熱波の影響で暑くて暑くて(笑 汗ぐっしょりになって演奏しました。
こちらは14世紀のイタリア音楽、特にフィレンツェに関係のあるものを中心にしたプログラム。プログラムに並んだ作曲家がAndrea da Firenze, Lorenzo da Firenze, ○×△ da Firenze, XYZ da Firenze,,, etc... と da Firenze だらけでした(笑

今週はピレネーでのコンサート。涼しいといいなぁ(笑


2015/07/07

コンサート終了

7月1日のコンサート argentum が無事終了しました。ご来場下さった皆様、ご興味を持っていただいた方々、ありがとうございました。


毎回チラシにはパッと見ではわからないような意味を隠しておいて、公演中にそれがはっきりと、又は漠然と把握できるように解説でお話をするのですが、今回は演奏会が「終わってから」チラシを持って帰ってらしたお客様がいらしたそうで、ちょっとした遊びを仕込んでおいた甲斐がありました:)



コンサートの次の次の日には成田からバルセロナに、ただいま絶賛時差ボケ中です。前回の帰国から特にバルセロナに帰ってくると時差ボケが激しく出るように・・・
去年まではそうでもなかったので辛さが分からなかったのですが、これはきついですねぇ。

さて、次回は何をテーマにしましょうか。思案の為所です:)

2015/07/01

コンサートのお知らせ: argentum ~中世末期の南フランスと北イタリア~

---------- コンサートは無事終了いたしました。ご来場下さったみなさま、ご興味を持っていただいた方々、ありがとうございました。----------

2015年7月1日に近江楽堂にて中世音楽のコンサートを行います。今回はアントネッロ・デ・カゼルタとフィリポクトゥス・デ・カゼルタを取り上げます。詳細は以下の通りです。


argentum ~中世末期の南フランスと北イタリア~
『Anthonello de Caserta と Philipoctus de Caserta 中世末期を代表する2 人の作曲家』

アントネッロ・デ・カゼルタ と フィリポクトゥス・デ・カゼルタ は14世紀末から15世紀初頭に掛けて活躍した作曲家だ。フィリポクトゥスは主に南フランス・アヴィニョンで、アントネッロは主にミラノを中心とする北イタリアで活動した。フランスとイタリアという分類の仕方は、現代の私たちにこの2人の作品がその音楽スタイルにおいて両極にあるもののように感じさせる。しかしこの2人の作曲家の作品は、もちろんそれぞれの個性を保ちつつ、共にアルス・スブティリオルと呼ばれるスタイルによって書かれ、そこには確かに共通する響きがある。本公演はイタリアやフランスといったときに今日の我々が想像する国境線による余りにも大枠的な、しかしよく信じられている分類が、実のところ簡単に乗り越えられてきた一例を示すだろう。

曲目
Anthonello de Caserta: Tres nouble dame souverayne
アントネッロ・デ・カゼルタ: いと高き貴婦人
Philipoctus de Caserta: Espoir, dont tu m'as fayt partir
フィリポクトゥス・デ・カゼルタ: "希望"、お前が私を旅立たせた
Anthonello de Caserta: Amour m'a le cuer mis en tel martire
アントネッロ・デ・カゼルタ: "愛" が私の心を苦悩させる

出演
     歌: 阿部早希子
クラヴィシンバルム: 吉見伊代   
オルガネット: 矢野薫 
リコーダー・音楽監督: 守谷敦     

日時: 2015年7月1日(水) 19:00開演(18:30開場)
会場: 東京オペラシティ3F 近江楽堂
チケット:全自由席 前売 3,500円 当日 4,000円

チケット予約・取り扱い
AM音楽事務所: tel&fax. 04-2953-1459
東京古典楽器センター: tel. 03-3952-5515
e-mail:gandharva.am@gmail.com








2015/06/20

平行5度? NO PROBLEM!!!!!

中世の作曲技法に関して覚え書き程度に書いてみる。

14世紀~15世紀初頭の対位法でも基本的に平行5度・8度は禁止されている。基本的に、といったのは実際の楽曲にはこれらが散見されるからだ。逆に言うとその響きが楽曲においては響きのスパイスになっていたり、何かしらの意味合いを持っていたりする。
でも原則としてはやはり禁止ということになる。

禁止するというのは、どの時代の音楽理論でもそうだけど必ず抜け道が存在するということだ。
中世対位法の場合も楽曲の対位法的構造は平行5度だけどもそれが見えないようになっている、というのは非常に多いというかそれで成り立っているともいえなくもない。

2015/05/10

ゴシック建築平面図閲覧サイト

http://mappinggothic.org/

好きな人には中々堪らないサイトをtwitterで見かけたのでここでシェア。地図上から教会を選択してその平面図を閲覧できる。これから閲覧できる教会の数が増えていくことに期待。普段どこかのサイトのリンクのシェアはFacebookで済ませてしまうのだけど、これはこっちで:)

大学に通っていて中世音楽に興味が出始めた頃に買った『フランスのロマネスク教会』(ISBN-13: 978-4306044104) という本を思い出した。この本はシェアしたリンクが対象にしているゴシック教会ではなくロマネスク教会を取り扱っているのだけど、それぞれの教会の写真だけでなく説明と平面図が付いている。

買った当時まだヨーロッパにいったこともなかったので、平面図と写真から立体図を頭の中に作り上げる作業をしながら読み耽ったのを思い出します。
カタルーニャにはロマネスクの教会が沢山残っているのだけど、もっと見に行きたいなぁ。多くの壁画は丁寧に剥がされて教会をそのまま再現する形で大量にカタルーニャ美術館の中世コーナーに展示されているのだけどね。

美術館行きたくなってきた。久しぶりに行ってみるかな・・・


2015/04/25

びふぉーあふたー

すっかりバルセロナも暖かくなってきて、って書こうとしたら今日は何だか肌寒い。曇ってるしね。
まあ全体としては暖かくなってきているのは本当で、日向に出ると普段は熱いくらいです。敢えて間違った感じを使うのはスペインの日差しは暑いというより、熱いという感じなのです。日向と日陰で全然体感気温が変わります。

暖かくなって街路樹も随分こんもりしました。
                                                                                before                                                                   after
 →

夜と昼で分かりにくいって?? 気のせいです。

一昨日はSant Jordiのお祭りでした。男の人が女の人にバラを贈り、女の人は男の人に本を贈ります。以前にもこのお祭りについて書きましたが、「美しいが頭の空っぽな女、美しさなど求めないが頭のいい男」という旧態然とした男女観を絵に描いたようなコンセプトです(笑

でも街中にバラか本、又は両方を売ってる屋台が沢山並んで道行く人々がバラを持って歩いているのはとてもハッピーです:)


これはうちの近所でバルセロナの中心ではないので人が多くないですが、これがバルセロナの中心街になったりすると、身動きできない位の人出になります。屋台の数も半端ではなくずらっと並ぶ感じになるのですが、今年の私は近所をブラブラしておしまいです(笑

2015/04/16

『カルメン』ゲネプロ at リセウ劇場

先日の記事で紹介したフラッシュモブ(ココ)で宣伝していたリセウ劇場の『カルメン』のゲネプロ(本番直前の通し稽古)を見に行ってきました。まあお客さんも沢山入って実質本番と変わらないので試写会みたいなものです。


ランブラス通りはいつもどおり人で一杯です。先日カルメンが歌っていたバルコニーも明るい時間に見ると印象が違いますね。というか前回見に来たときは真っ赤にライトアップされていたので印象が違うのが当たり前というか(笑

今回は現代風の演出でした。まあ実際の公演開始前だから余り詳しいことは書かない方がいいのかしら。カルメンの奔放さとそれを取り巻く下卑た環境を全面に出しているので、とっても退廃的な雰囲気で結構エロいです。正直なところ現代風演出のオペラってちょっと苦手意識があって、今回も「んーちょっと」と思った部分もあるのだけど、結局すごく引き込まれました。

ようは登場人物にとてもよく血が通った演出だったのでした。だから終劇の瞬間は、激情の当然の帰結としてのカルメンの死が現実感を持って観客に叩きつけられるという印象。とてもよかったです。

公演HPはこちら: リセウ大劇場公演『カルメン』 (音出るから気をつけて)


ゲネプロなので関係者用のでかいデスクが設置されています。
ここには映ってないですがオーケストラもみんな私服です。

公演期間中にバルセロナを訪れる予定があるなら、足を運んでみる価値はあると思います:)


2015/04/11

フラッシュモブ at リセウ劇場前

昨日はバルセロナのリセウ劇場(wiki)に行ってきた。
といっても中に入ってオペラを鑑賞したわけではなくて、今月17日から公演が始まる『カルメン』の宣伝を兼ねたフラッシュモブ(wiki)を見に行ってきたわけです。

リセウ劇場はバルセロナの中心街の目抜き通りであるランブラス通りに面していて、普段から観光客も含めてとっても通行人が多いのだけど、カルメンに扮した歌手が劇場のバルコニーから通りに向かって有名なハバネラを歌い始めると、通行人を装っていた合唱メンバーがそれに参加するという趣向。


フラッシュモブ、というものを初めて実際に見ましたが面白いですね。歌っていた人たちは全員実際にオペラで合唱として参加しているメンバーだったのですが、みんな舞台とは違ってリラックスしてるのが伝わってきました。お祭り的な雰囲気。

終わった瞬間に後ろで歌っていた女性が「さ、帰って夕飯つくろっ」と一言。気持ちの切り替え速いです(笑


2015/04/08

中世ルネサンス

バロック、ルネサンス、中世なんて分類があるけれど、個人的に「中世ルネサンス」という古楽関係者の中でもよく使われる時代の括り方は音楽史において適当でないと思っている。というようなことをあれこれと書こうとこの何日か格闘したのだけど、ちょっとギブアップ。

中世からルネサンスへの移行はつまり西洋史全体の時代区分において中世からルネサンスやバロックを含む「近世」への移行であるわけで、西洋において世界の様相がより激しく変化を遂げた時期はルネサンスからバロックよりも中世からルネサンスのほうであるだろう。そして音楽においてもある2つの時代間にある種の線引きを求めるならば、中世とルネサンスの間には、音楽のコンストラクションにおいて中世とルネサンスという意味以上、つまり中世と「それ以降」という隔絶が存在すると考える。そしてそれはルネサンスとバロックの間に存在するものよりもずっと大きい。

しかし如何せんこの手の議論は文章化するときにカバーする範囲が広域になりすぎるし、それに従ってそれぞれのエレメントに関する掘り下げが目に見えて薄く甘くなる。
こういう試みに含む危険性は例えばパノフスキーが『ゴシック建築とスコラ学』の冒頭で指摘している通りだ。

「(時代を「歴史の区別しうる諸部分」と定義するとき、これらの部分はある種の統一性をもたねばならず、それを実証しようとするなら)芸術、文学、哲学、社会的潮流や政治的潮流、宗教運動、等々のような明らかに異種の諸現象の間に内在する類似性の発見を試みなければならない。(中略)誰でも、敢えて<専門領域を超え>ようとする時にはいつでも、どうしても、不完全な、しかもしばしば二次的な情報にたよらざるをえないものである。」*

この危険をまさに自分が犯そうと四苦八苦していると気がついてギブアップしたわけです(笑
でもこうやって昔読んだ本を思い出したり、調べ物をしてまた何か新し知識を得たり、悪いことは何も無いわけです:)

=====

全然話は違うけれど、私みたいにそもそも写真も普段余り撮らないような人でも(あるいは逆にだからこそ)、自身の気分が撮る写真に影響するのかどれも同じようなものになる。といいつつもちょこっと貼ります(笑



*ISBN4-480-08660-9, p.7

2015/03/22

帰宅途中

昨日19時ごろ外に居た。
最近この時間帯に道を歩いているということが無かった気がする。時間帯といっても時刻ではなくて、日が落ちてその後、暗さが黒く目立つ直前の夜とも夕方とも取れないそういう時間帯、空の赤みは引いているのでいわゆる黄昏よりも夜に近い時間帯だ。

家に向かって急勾配の坂を下っていくのでやけに街路樹と電線が目に付く。下から見上げるとシルエットが血管のように貼り付いて見えた。




2015/03/20

原典は聖典ではないというお話

中世末期にあたる14世紀-15世紀初頭の音楽を演奏するとき、現代譜を見ながら音を出してみるとなんだかおかしな音がする、ということは割とよく起こる。そこで写本と現代譜を見比べて現代譜に間違いがあるのを発見するというのも間々あることだ。逆に現代譜が間違っておらず、その不思議に響いた音が何らかの対位法的な意味を持っていることを発見して驚くこともある。

では原典である写本のほうに間違いを見つけるということは無いのだろうか。写本は人間の手作業によって作られているわけなので当然、ある。そういう例を見つけたので適当に解説してみる(音源がうまく再生されない場合は少し待つか、それでも再生されない場合はページを更新してください)。

もしかしたらここで分析した箇所には既に同じような考察がなされ論文が発表されていて、それを私が知らないだけかもしれないので、もしご存知の方がいたら是非お知らせくださいませ。

2015/03/13

携帯カメラ

昨日ジャムセッションを聴きに行ったバルの明かりが気に入ったので写真に撮ってみたのだけど、全然きれいに撮れませんね。
中で光ってる電球のフィラメントがきれいなのに、完全に飛んでしまっている。携帯のカメラだから仕方ないのかな。ま、一眼レフを持たされたからといって上手く撮れるつもりでいるというわけではないですけど(笑

やっぱりジャズのジャムセッションっていうシステム(といっていいのか分からないけど)ってすごいよね、といつも思う。夜な夜なその場その場でアンサンブルして人前で演奏する機会があるってことだからね。しかも2・3分の打ち合わせで。これは鍛えられるだろうな。

古楽もオスティナートとかジャムしやすいフォーマットがあるんだから、古楽バーとかできたら夜な夜な盛り上がったりするのかしら(笑


2015/03/09

屋上と道端

新しい部屋は小さいのだけど屋上テラスに直結している。
2日ほど前の夕焼けがきれいだった。

それと以前から気になっている自動販売機。
これ、生の魚介類の自動販売機。生牡蠣まで売ってる。
もちろん品質には問題ないのだろうけど、やっぱりなんだか買うのをためらってしまう。ここ以外では見たことがありません。お昼ならこの自動販売機の横の扉が開いて普通の魚屋さんになります:)


3分薀蓄クッキング

拾ってきた画像を使って専門外のことに適当に薀蓄をたれる試み。

Facebookで一度シェアしたけどこの画像。
Luttrell Psalter, England ca. 1325-1340 (British Library, Add 42130, fol. 75v)

この画像の中で、最も当時の現実を反映していると思われるのは攻城の様子だ。守備側が花を投げて対抗するようなことは現実には起こりえないわけだけど、攻め手の様子が現実からかけ離れてしまっては、画像が「城を攻めている」という情報として意味を成さなくなってしまうからだ。

攻め手の様子は全体的には甲冑に身を包んでいるが、その攻め方は4種に分けられる。左側から剣による武装、開いた城門からの浸入、クロスボウによる遠隔攻撃、梯子による城壁の突破の試みである。

この中で私が興味を引いたのはクロスボウ。百年戦争中の戦闘においてイギリスはロングボウを用いてフランスに対して大打撃を加えていたので、いつの間にかイギリス=ロングボウという思い込みが出来上がってしまって、この絵を見たときまずそこが気になった。

ちょっと調べてみるとこの当時の遠距離武器としてヨーロッパ全体的にクロスボウが広く使われていたことが分かる。それはイギリスも同様でいわゆるロングボウは13世紀頃から本格的に用いられるようになったようだ。この絵はその武装の変化が起こった後に描かれているわけだが、武装の変化は既に起こっていても戦場のイメージとして遠距離武器にクロスボウがまだ思い浮かぶ時代だったのだろう。

ちなみに百年戦争中のフランスのクロスボウとイギリスのロングボウを比較検証した場合、クロスボウは機械仕掛けのため取り扱いの習得には時間が掛からない上に甲冑すら貫通する威力を持っていたが、実際の戦闘において速射という面においてはロングボウに大きく差をつけられてしまう。クロスボウが1発放つ間にロングボウは7発放つことができるという結果が出たそうだ(wiki)。
ここまで連射速度に差がついてしまうと、ロングボウによって張られた弾幕をかいくぐってクロスボウを撃つこと自体ができなくなってしまうことは想像に難くない。

弓の速射能力というと思い出す動画がある。イコノグラフィーからヒントを得て歴史的な弓術を研究・実践している人の動画。最後のほうに速射のシーンがあって、もちろんロングボウのような長距離射撃を念頭に入れた使い方ではないけれど、弓という武器がどのくらいのポテンシャルを持っていたのかよく分かる。

取り止めが無い感じだけど、今回はここまで。絵1枚がいろんな情報にアクセスきっかけになるのは快感ですね。クロスボウの歴史が思っていたよりずっと長いことにびっくり。



2015/03/07

走れミニマ


さて、これは何の譜例でしょう。これだけで出所が分かるのはかなりの中世音楽好きですね。でもとても有名なフレーズなのです。

まあ勿体振っても鬱陶しいだけなのでネタばらしするとキプロス写本とも呼ばれている Torino J.II.9に収録されているJe prens d'amour noriture という曲のCantusの一部です。この曲はEn attendantを引用している楽曲群の一例で冒頭はPhilipoctus de Casertaが作曲した En attendant をほぼそのまま使っています。
もちろんそれだけでも興味深いわけですが、画像のように旋律なし、つまりリズムだけでもとても興味深い部分を含む作品なのです。答えを見る前にどんなリズムかちょっと考えてみてください。

ベースになるMensuraは Imperfect tempus/major prolationなので 6/8 に相当します。

2015/03/04

引越し(再

引越し完了。
3ヶ月住んだ家は家主が引っ越すことになり、その結果入居者全員お引越しすることになったのです。今はClotという地区に住んでいます。この前まで住んでいたBac de Rodaから地下鉄で1駅なので距離的にはとても短い移動でしたが、今度はエレベーターの無い家なので荷物を上げるのが一苦労でした。

バルセロナ在住の日本人の中で有名な中華料理屋があって丁度その目の前という立地なので料理が面倒くさいとすぐに行きたくなりそうで怖いです(笑

しばらく前ですがカーニバルのときの写真。踊っているのは子供たちです。結構複雑なフォーメーションで踊ってました。

恐怖のアイスお化け。このキャラクターで誰がアイスを食べたがるんだろう。

ジャズトランペッターの友人宅へ行くためにBac de Roda と Clotの間を徒歩で何度も行き来していた時に毎回通っていた道。道の両端が車道で真ん中が歩道になってます。

Gracia地区にジャムセッションを見に行った後に偶々入ったBar. 
雰囲気がよかったのでちょっと撮ってみた。

呼んだらこっち向いた。

『自動車学校ダカール』
ものすごいドラテクを教え込まれそうです。

バルセロナは段々暖かくなってきました。まあ地中海気候ですしもう3月ですものね。
と書きつつ、実は今日は雨なのです。なんだか久しぶりにしっかり雨が降っています。雨が上がったらさぞ気持ちのいい天気になるだろうな。